改悪教育基本法

2007年1月13日 21時22分 | カテゴリー: 活動報告・日誌

「憲法を哲学する」 ・・・学習会に参加して

 東大教授の高橋哲哉さんをお招きしての学習会に参加しました。今の日本がどこへ向かおうとしているのか。どんな危険性があるのか、わかりやすくじっくりと憲法改正や、12月に変えられてしまった教育基本法について考える機会となりました。
 ここ最近の有力な国会議員の発言や、法改正の動きを見ていると、
 ①自衛隊を日本軍に ②靖国神社を国立の追悼施設に ③愛国心教育
 この3つを揃えたいと思っているようだと。
 今回の教育基本法の中の、第十条には、新に「家庭教育」の項目が新設されました。そこには、
 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るように努めるものとする。
・・・と明記されました。
 これは、一人ひとり(もちろん子ども自身も)の学ぶ権利を無視し、
 ①国家が、個人的な家庭の責任を規定していること
 ②国家が、家庭の教育のあり方、習慣へまで介入
と非常に問題です。
 確かに、今、子どもの教育がなってないのは、家庭に問題があるとされています。しかし、ここで気をつけないといけないのは、学校・地域・家庭の連携で、愛国心を教えましょうなどと、押し付けが始まる危険があるということです。
 第一条では、教育の目的として、それまでの、心理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。が、次のように変わっています。
 第一条 国家及び社会形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 そして、二条で、その数多くの徳目「態度」を規定しています。たとえば、その五の、わが国と郷土を愛するとともに・・・との言葉が入れられています。
 これと、十条の家庭教育の項をあわせて考えれば、学校・地域・家庭が連携して、愛国心教育を行いましょうとなりかねないわけです。
 私たちが普段使ってきた言葉、学校・地域・家庭の連携 は、連携によって、一人ひとりのニーズに合った教育を実現しよう、学校を地域社会の拠点として、生涯学習の場として開いていこう、そうすることで、児童生徒への安全性の向上と豊かな体験の機会を作り出すことができるというものだったはずです。それが、この改悪で、全く同じ言葉を使って、中身は正反対のことができてしまう状況になったということです。
 愛国心・・・国を愛するということを押付けるのは、全くもっておかしなこと。「愛」は、押付けるものではなく、生まれてくるものです。
 一人ひとりが大事に尊重される社会が実現して、はじめて、いい国に生まれたことを喜べるのではないでしょうか。
 何のために、愛国心を植え付けたいのか。一方で、憲法改正・・・憲法九条の改正をもくろむ時に、愛国心はセットになってくる。なんとも、危機的状況だと感じました。
 今から私たちが出来ること、現憲法に則った教育がされていくか、チェックし、声をあげていくことだと、あらためて思いました。