学級崩壊だ!

日本だったらね

 公民館主催の講演会「学びの質を考える」に参加させていただきました。
 都留文科大学教授の福田誠治先生に、フィンランドの教育をご紹介いただきながら、今の、そしてこれからの日本の教育を考えました。

 ある日の学校の教室(6歳の子の)をのぞくと・・・
13人のクラスのうち、先生の話しを聞いているのは2人だけ・机に向かっているのは3人・机の影で積み木をしている子1人・黒板でなにやら書き物をしている子2人・粘土細工3人・机の下でかくれんぼ2人
 日本だったら学級崩壊と大騒ぎでしょう。
 しかし、フィンランドは、応用力・思考力・学習力を測るPISAというテストで、世界の1、2を争う成績のよさなのです。
 1985年に習熟度別編成を止め、異質生徒集団方式に切り替えた、つまり、多様な子どもたち一人一人に対応する難しい教育に挑戦し、見事、結果を生み出したということのようです。

 1人1人みんな違う子ども達、目標もまた、一人一人違うので、同じプログラムで全ての子ども達を縛っても効果がない。子ども達は1週間の予定を自分で組み、自由に進めていくそうです。
1人の落ちこぼれも作らないとするこの国では、授業を強制はしないけれど、聞きたいというときにはいつでも学べるようになっています。1人でも学びなおしができる教材もそろっているし、授業中も一応時間割はあるようですが、ある子は前の授業の続きをしています。
「あ〜もうちょっとなのに、チャイムが鳴っちゃった!」という経験はないですか?
全員が45分の時間の中で、同じペースでできるなんて無いのだと。もう少しでわかるとなったら、わかるところまで続ければよいし、あきたら止めればよい。

 何よりいいなと思うのは、地域の子がみんないっしょに学ぶ統合教育(障がいのある子など、特別な支援が必要な子も同じ教室の仲間です。養護教員が一人一人に付きます。)
 それから、一人一人が自分自身のために学びたいと思っていること。そうした、自分発の気持ちが子どもの考える力、応用する力になっているのではないかと思います。

 同じ時間で、同じ物を、よりたくさん作ることが一番であるというような時代は終わり、実は、日本の企業だって、入社した時から使える人間をほしがっているじゃないですか。
 応用力があり、コミュニケーション能力に優れ、解析力がある、そんな人間は、いわゆる「受験勉強」で育つとは思えない。大学だってそうした社会の要請を見据えて、自分から頑張る子、個性を磨いてきた子を様々な推薦枠で入学させようとしているように思えます。

 義務教育だけが、相変わらず、学歴社会の影におびえ、
どんな家庭に生まれ、自分がどんな特徴を持っていても、生きる力をつけることができる教育
というところに踏み込めないでいるのはなぜか?

 子ども達にはどんな教育が必要なのか、それは、例えば経済が低成長だとしても、暮らしは平穏にできること、そういう社会を作るにはどうしたらいいか、
 私たち市民が、きちんと意思表示しないと、日本は選択を間違えてしまうかもしれません。
 誰にだって、教育を受け、能力を伸ばす権利があると。そして、誰にだって、将来を安心して選択する権利があると。

 フィンランドでは、教育はインフラ整備と同じ、余った予算はみんな教育に使うのだそうです。家庭の持ち出しは無し。

2月3月になると工事が増えるのよねとモンクが出るどこかの国とは大違い。