丸ぼーろ

勇気100倍!

 

 子どものころ、佐賀にいる伯母が、青梅の実家を訪ねてくれると、必ず手土産に持ってきてくれるのが、この「丸ぼーろ」おいしんんですよ。とっても!!だから、伯母から行くよと連絡が入ると、楽しみで楽しみで・・・って、お菓子ばかりが楽しみだったわけじゃありませんけどね。着物を粋に着こなして、旅なれた様子でやってきて、(その頃、飛行機や新幹線に一人で乗ってくるなんて、かっこよすぎる存在でした。)話し上手な伯母はとても素敵なチャーミングな人でした。

 父も、姉弟なのに、「姉さん、お元気でしたか?」ときちんと敬語を使うあたり、子ども心に不思議でもあり、ちょっといいなと思うところでもあり・・・。大正生まれって、そんな感じなのでしょうか?目上の方の敬い方が半端じゃないあたり。(冗談を言い合うとても仲良しな姉弟なのですよ、実際は。)

 今、親の子どもに対するしつけがなってないとか、親自身が、親業の基本であること(例えば、朝ご飯をたべさせるとか、遅刻しないように学校に送り出すとか)ができない方が多いとか、話題にのぼります。
 親の背中で、伝えられることはたくさんありますが、親戚関係が多いとか、ご近所のつながりがあるとか、親以外の人から受ける影響もたくさんあって、子どもはいろいろなことを考えるし、たくさんの人と出会うほど、たくさんの「人間のモデル・おとなのモデル」を見ることになるので、こんな風でも、あんな風でもいいんだね、じゃあ自分はこんな人間になりたい!って思えるようになって、目標が見つかるのかもしれません。

 「今の親」を責めるだけではダメなのでは、ないでしょうか。

 少子化だから、子どもが少ない、兄弟も少ない、いとこや親戚関係も少ない、ご近所はみんな昼間はお勤めに出ていて留守。八百屋さんはつぶれ、大きなスーパーのマニュアル対応しか触れたことがない・・・

 そんな社会だったら、子どもは、どこで、人に出会い、どこでどんな体験をするのでしょう?

 いとこが、大好きな丸ぼーろと共に送ってくれた、暖かな心。いっしょに分け合って食べたいと思う仲間や、家族が、福生にいる。だから、このまちをみんなと共に作っていきたいのだ!
 政治は、そんな日常的な所から始まると思っています。
 そして、日常生活を振り返り、日常の中に潜む、不安や問題点を出し合って解決していく。

 子ども達が、「こころひとつにして、誰かと何かをやり遂げる」ということの、大切さや気持ちよさを、周りにいる誰かから受け取って、おとなになっていって欲しいと願います。
 そして、暖かな心をきちんと受け取れる人になって欲しい。
 そのためには、今、何が必要か。

 いとこの丸ぼーろを、「なんて、おいしいのこのお菓子!」と食べる仲間たちの顔を見ながら、そんなことを思いました。

 

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