福生の湧水 ②

2009年7月30日 17時45分 | カテゴリー: 活動報告・日誌

話を聞いてみると・・・

 福生の湧水に、親しむ道づくり・・・できないかなあ〜と、そもそもこの道はどうして道になったのか、都市建設部に改めて聞きに行ってきました。

 いままでも、公園ができるときなど、関連することが出てくるたびに、断片的には聞いていましたが、トータルにそして、歴史も紐解きながらおしえていただくと、福生の昔の暮らしや、その後の発展の仕方など、その町ならでは経緯をたどって今に至っていることがよくわかりました。
・・・当たり前ともいえるけど。

 今も町丁名に残る「福生市田園」はまさに田園地帯で、その田んぼに水をひく用水路として、地下水・湧水を利用するため下の川ができたと。その後、宅地化が進み、田んぼは減り、川にも生活雑排水が入り込むようになって、どぶ川化してしまったようです。
 また、一方で、そこには、横田基地からの雨水管がつながっているわけですが、横田基地内の舗装化が進み、管に集中して流れ込むようになったため、田園の一部では、よく浸水してしまった時期があったそうです。(横田基地もその昔は、今よりもっと草原が多かったのですね。そこから、地下へ雨水は浸透していたわけです)
 管の中で雨水が効率よく流れるためにも上をふさいで、土砂などが入り込まないようにすることと、市道の田園通りと、もう1本緊急避難用に梯子車も通れるような道路が必要ということで、下の川をふさいで道路にしたとのことでした。

 時代によって必要なもの、地域のニーズがかわってきたのがわかります。

 これからの時代、何が必要でしょうか?
 100年先まで、地下水を飲み続けるために。そして、子どもたちに自然との共生をメッセージするためには、どんな道づくり・・・まちづくりが必要なのか。地域の中で議論を始めていく必要があると実感しました。

 ちなみに、以前にもご紹介したかもしれませんが、この下の川は(しものかわ)と発音しますが、涯線沿いに整備された公園は、下の川せせらぎ遊歩道公園(したのかわ)と読みます。

 今回も、話の内容とは全然関係ありませんが、先日、「市民と議員の条例づくり交流集会2009」に行って来たときの写真です。2日間にわたって行われたシンポジウムや分科会の、最後のまとめで、右から坪郷 實早稲田大学社会科学総合学術院教授・武藤博己法政大学大学院政策創造研究科教授・中尾 修東京財団研究員/前北海道栗山町議会事務局長の3人が、会場との最後のセッションということでやり取りをしているところです。
 今回の事例発表では、党派を超えた各地の議員が中心となり、各自治体の事情に合わせて、市民への議会報告会や意見交換会が行われている様子が紹介されました。とても勇気のもらえた会でした!やっぱり、福生でもやりたいですね!議会と市民の意見交換会。