命を大事にする社会に!

3月に92歳で逝った父は、1月ごろまで自転車に乗り、カラオケを歌い、心臓病であまり動けない母に変わって家事一斎をやっていた。

私は、よく、「この人死なないんじゃないかと思う」と言っていて、「そうは言っても、いつかは死ぬんだろうから、人の最期の時というのを学ばせていただこうと思っている」と不謹慎に聞こえるかもしれないが、私としては真剣な思いでそう考えていた。

これといったきっかけはなく、2月に入って徐々に弱っていき、トイレに行くにもたいへんになっても、「大丈夫、自分でできるから」と最後まで「自分でやる」ことにこだわった。

父も血圧の薬を処方してもらっていたが、実は、血圧も下がり安定していて、先生からは、「薬のバランスがいいようですね。このままいきましょう」と言われていた。

ところが、薬は飲んでいなかったようなのである!半年以上も!なのに、血圧が下がっていたというのは、治っているというよりも、緩やかに0に近づいていっている状態だったのかもしれない。

最後の最後、いよいよ入院したときには、肺もスカスカ、心臓も腎臓も不全・・・体を全部使い切ったという感じだった。

食事も摂れなくなっていたので、最期はミイラのようになっていて、私はその顔も神々しくて大好きだった。

葬儀屋さんがきれいに顔を整えてくれて、今度は、なんともイケメンになっていて。技術がすごいのか、父が意外と整った顔だったのか・・・

まあ、そんなことはどうでもよいが、「振り返ってみたら、あの時がこうだったら・・・」という場面はなくもない。

医療と介護と福祉の連携は、はたして・・・

救急車で運ばれた日、「もはや医療ではないので、介護のサービスを」と言われた。役割のきっちり分けられた医療機関では、ここは「救急」の「病人」を治療するところ。とりあえずの点滴だけはするけど、あとは、帰って市役所に電話してねということになる。

言っておくが、父に関わってくださった病院も介護の相談窓口も市役所も本当に親身に人間的にしかもスピーディに接して下った。本当に助けていただいたので、感謝をしている。

しかし、結局、「医療→介護、やっぱり医療」と、右往左往した。

父の場合は、最期、本当に会いたい人たちにも会え、きれいにしてもらって、家族としては大満足。

でも、この医療と介護のはざまで充分なケアに結びつかない例も出てくるのではないかと思った。

もっと、地域医療に患者を返していくことを早い段階から積極的に進める体制にするには、病院の検査機能と地域医療をつないで、検査の情報を共有できるとかすれば、検査には病院を使っても診療は地域のお医者様でという体制ができる。(福生病院では、それに近い取り組みが始まっているが)

長年のかかりつけ医であれば気づく変化もあるのではないか。

また在宅での看取りも含めた介護体制との連携もできるのではないか。

そうした、命と暮らしを大事にする社会づくりは、求められている。

父から学んだ「最期の時」・・・死ぬときまで生きているという当たり前、そして、生きているうちは自分流にしたいという強い思いがなくても、自分流になってしまう。

そうした、ひとり一人の大切な最期の時間を、その人流はなんなのか、聞こえない声に耳を傾け、理解してあげられる社会がはやり、成熟した人間の社会なのではないかと思う。

命を大事にする政治家が必要だ!

大河原まさこを私は応援する!

生活課題を国政の場できちんと位置付けてきた、この人こそ、参議院に必要なのだ。http://ookawaramasako.com/wp-content/uploads/2013/07/leaf2013.pdf

 

孫(私の子どもたち)が遊びに来ると、隣の部屋から「タレ目に見えるメガネ」をかけて登場して笑わせるサービス旺盛なたまに過剰な父は、寒くて開花が遅れた梅と急に暖かくなって急いで咲いた桜や木蓮が、一気に満開という花好きらしい最期の時を選んだ。通夜の夜は、斎場から家の途中多摩川に架かる橋の上に、幻想的なこの上もなく美しい満月が浮かんだ。つつじの花のトンネルをくぐっての納骨と、どこまでもサービスのよい父である。

今日は、7月7日。七夕。父の誕生日でもある。

歳がいってからの子どもで、私のこともたぶんかわいがってくれていたのであろう(娘は具体的には気が付かないが・・)。いい歳になった最近でもたまに「いくちゃん」と呼んだ。

「いくちゃん、遊説上手になったの?」なんて。

父が教えてくれた大切なこといろいろ。

社会に残していくために頑張りますよ!だからこそ、今日は大河原まさこのところへ行ってきます!!