学校不適応指導→学校適応支援

こだわりますが・・・

 福生には、不登校の児童生徒に対して居場所となる「適応指導教室」があります。学校には通えないけど、ここなら行けるという子がやってきて過ごす場所です 今度、教育センターができることになり、そこへ移転することになりました。
 それをきかっけに、名称変更するということで、今回の議会に上程(議題としてあげられている)されています。

 この適応指導教室を管轄する 「学校不適応 児童・生徒 教育支援室」が、「学校適応支援室」に名称変更したいということです。
 細かいことと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、学校不適応教育支援を適応指導教室でおこなうというのは、「学校」というところは、本来は全員が適応しなければならないものなのに、できない子→不適応だから、教育して適応できるようにしますよ。というニュアンスが感じられて、この「不適応」という言葉をなんとか変えてほしいということを訴えてきました。
 子どもが学校に不適応なのか、学校が多様な子どもたちに不適応なのか、という問題もあります。

 「学校」は学問以外の部分・・・友達をつくるとか、みんなでやったら楽しいとか、いろんな人がいて、衝突もあるけど、解決したらみんながいい気持になるとか、いじめられたら悲しいとか・・・いろいろな人間関係を体験できて、社会人として生きていく基礎が学べる。その部分が大きいと思います。
 
 でも、全員が同じように、毎日学校に通わなければならないと強要されるのは、窮屈です。小学生や中学生だって人間です。悩みもあれば、学校行きたくない日もある。成長だって全員が毎日確実に一歩ずつ前に進んでいるなんてことはあり得ません。
 自分自身が悩んでしまうこともあれば、家庭の悩みや問題が降りかかってくることもある。友達同士で盛り上がり過ぎて、脱線することもある。
 そんな時に、学校という場ではないところで、一息入れたり、振り返ったりすることが大事な時もあるのではないでしょうか。
 それが、また、必ずしも、市が用意した、「適応指導教室」でなくてもいいと思います。
 ただ、家にだけずっといる、外に出られない状況が、あまりにも長くなっていたりするのは、やはり、幸せではないかな〜と思います。
 ひとりひとり、違っていいといいながら、みんな同じじゃないと不安になる。だから、なるべく早く学校に戻していけるように指導しよう・・・というのでは、まったく子どもの人格無視な対応になってしまいそうです。
 福生市の教育委員会では、ひとりひとりのケースごとに、しっかり寄り添い、その子が元気に幸せになっていけるように、支援する。そうした気持ちで、ずっと前から活動しているとは思いますが、言葉というのは大事。その場の目的やあり方に合った名前を付けることが、目的から外れないでやっていく、コツのひとつになるのではないでしょうか?
 そういった意味で、あえて、上程のときに、
 ●この名称変更でやることに変化はあるのか
 ●学校適応支援とは、不登校の子が学校に行けるようになるだけを目指すところなのか
 という2点について、質問しました。
 答えはもちろん、ひとりひとりのケースにあった対応を、いままでも、また、これからも目指し、実行していくという回答でした。
 当たり前だけど、大事なことです。ぜひ、ひとりひとりへ充分な対応をしていただきたいなと思います。
 不適応指導から、適応支援・・・、子どもたちに寄り添う形に一歩近づいた感じがして、ひとまず良かったかなと思っています。