日本史の中で、戦後といえば、第2次大戦後を指すように、震災後と言えば、この東日本大震災後を指すことになるだろうという方もいらっしゃいます。私は、95年の阪神淡路大震災も合わせて、大きな地殻変動期に入ったような地球の上で、一番大きな太平洋の片隅に浮かぶ日本列島を、東日本大震災では、あらためて感じる年になりました。
小さな国だけど、そこには、たくさんの命が暮らしている。
その中で、自分が生まれてきた役割を見つけ、全うできるとしら、こんなに幸せなことはないのかもしれない。それは、被災地へボランティアに行って、誰かに寄り添えた時・・・そんな瞬間に訪れることもあるだろうし、「自分の就くべき仕事」に出逢えたときに感じる幸せでもあるかもしれません。
私の長女のつれあいは、町工場で使う機械などの設計をしていますが、顧客のニーズを正確にとらえ、それを形にできる才能が素晴らしいと現在の会社の社長に認められているようです(結婚式の時の花嫁の両親へのリップサービスかも知れませんが・・)。大企業から小さな会社に転職した彼ですが、自分が果たすべき役割を社会の中で担っているように見えます。
前回のこのページでご紹介した秋川林業協同組合の沖倉社長も、また、東京の林業にとって役割を担っている方のように思います。毎日の仕事が、そうした「社会の中の役割を担う仕事」だったら、本当に幸せと言えるのではないでしょうか。
どちらも、それまでその人が勉強や経験で積み上げてきたものがあるからこそ担えるものであって、誰にでもできることではないでしょう。そうした「自分を活かせる場」に巡り合えることは、幸せでもあり、努力した結果でもあるのだと思います。
しかし、誰もが、そうした幸せな出逢いに巡り合っているかというと、今の世の中、努力しても、さぼってなくても、厳しい状況です。
誰に会っても、「今の社会に、仕事が足りていない」という話になることがなんと多いか。先日、市民の60代の方の電話でも、まだまだ働けるのに、仕事がないという話。久しぶりに会ったご近所の方とのお話の中でも「正社員を増やして税金を払える人を多くしないと。若い人も結婚もできないわ」と出てきました。
また、忙しい人は、忙しくて体を壊すほど働いているのに、若い人から高齢者まで、全年代において仕事に就けない人もいらっしゃいます。知人は、仕事上精神的な疲れを抱え、退職しましたが、休養しながらも社会とのつながりを持ち続け、今では、すっかり回復(自分との付き合い方が上手になって)し、新たな職場で以前にも増して、その人らしく「社会の担い手」になって仕事に就いています。そうしたステージチェンジのためには、休養やリカレントの時間がとれることが重要です。
みんなで、担いあい、みんなでカバーし合える社会を作ることが急務だと考えます。
人々の「暮らし」に関わる仕事を、丁寧に多くの人の手をかけて行う・・・そんな社会にできないでしょうか?
「環境」 「福祉」 「教育」 「第一次産業」等に携わる人数を増やし、大量消費・大量廃棄ではなく、人・もの・金を回していく社会づくりの提唱は、随分前から行われています。
この2011年を節目に、そろそろ、本気でシフトしていきませんか。
まずは、原発を廃炉に。そして八ッ場も止めましょう。
そこに「まつわる金」を整理して、シフトの資金に。
命を育み・命を大事にする社会にしていきたいです。
2012年・平成24年が、みなさんにとって、今よりも素晴らしい年になりますように。