高齢者、とくに単身世帯の高齢者に対して要援護者として登録を進めたり、いざという時に、無事を確認し、適切に避難に導く、あるいは、継続的に支援の手が届くようにすることは、重要な課題であるし、今までの準備で足りているかどうか確認することが急務だと思います。福生では今夏も行われる総合防災訓練で、要援護者の対応についての実際に声かけに行ってみることを訓練の中に盛り込んで実施する予定です。
さて、高齢者の援護も重要ですが、一方子どもたちに対してはどうなのでしょうか?
高齢者に対しては、地域の方・民生委員・消防・在宅支援センター・・・・さまざまな役割の方や機能を使って、重なってもいいから声かけに行く、足を運ぶとなっている。
なのに、なぜ、子どもは、学校か地域か家庭の役割分担・・・分担になってしまうのか?
3.11東日本大震災当日は、時間的に、小学校1・2年生が下校後という学校も多かったと聞きます。また、3年生以上の子たちであっても、その後JRが思いのほか早く止まってしまったので、保護者が帰宅できなかったお宅もあったかもしれません。電話も使えない中で一人で不安な「余震の夜」を過ごした子どものいるやもしれません。
大きな地震や事故等不測の事態が起こったときに、学校は、早く家に帰そうという発想になりがちだが、3.11の時のような場合は、学校にとどめて保護者との連絡が付くまで、面倒をみるとか、帰宅してしまった子が、どのように過ごすのか・・・近所の人がすでに見てくれているのか、保護者と連絡が付いているのか、それでも何か心配があったら、相談できる保護してもらえるおとなが近くにいるのか・・・確認することくらい、やりたいと思う先生はいなかったのだろうか?
先生が確認したら、近所の人も様子見に来ていた・・・重なっていいんじゃないかな!!
そんな思いの先生がいなくても対応ができるマニュアルが必要ではないのか。
誰かから責任逃れをするためのマニュアルではなく
人道的な行動がとれるためのマニュアル
防災計画の見直し、のみならず、もう少し日常のところからの見直しが必要だと強く感じます。