セクシャル・マイノリティー
『セクシャル・マイノリティから見た、日本の「新しい」家族と生活』と題した学習会に参加しました。
この企画は、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)のアドボカシーカフェで、社会の様々な課題を、参加者がグループ・ワークで考えていく、参加型の学習会です。
このセクシャル・マイノリティに関しては、連続3回のシリーズで行ってきたそうで、最終回にあたる昨日の会に、私としては初めての参加となりました。
参加者中、当事者が2/3という割合の状況で、さまざまな話が聞けました。
セクシャル・マイノリティ=性的少数者・・・といっても、いくつかのタイプがあり
L・・・レズビアン(女性同性愛者)
G・・・ゲイ(男性同性愛者)
B・・・バイセクシャル(両性愛者)
T・・・トランスジェンダー(性同一性障がいなど性別移行)
の頭文字を取って、LGBTと表現したりするそうです。
帰ってから、wikipediaで調べてみると、さらに
I・・・インターセクシャル(半陰陽)
Q・・・クエスチョニング(性的指向を探している状態)
を加えて、LGBTIQ と表現することもあったり、さらに、
A・・・アセクシャル(無性愛)
の方もいらっしゃるとなると、もうどうとでもしてくれ~「みんな違ってみんないい」なんだからいいじゃん!
という気にもなりますが、この「みんなちがってみんないい」という言葉がなんとも、呑気な、困っている人たちを切り捨てる言葉だということも、昨日の学習会で知ることとなり、言葉というのは難しいなあと感じた次第です。
一方、国際社会では、この「マイノリティ」という言葉自体が差別であるとして、セクシャル・マイノリティという言い方も国際的な文章では使われなくなってきているとのことで、LGBTと表現されることが一般的になりつつある印象を受けました。
ちなみに、異性愛者は、ヘテロセクシャル。
日本は、このヘテロセクシャルを前提に社会が組み立てられているままなので、LGBTの方が生きていくのに、障壁がたくさんある状態なわけです。
グループワークの中では、「好き同士一緒に暮らしているならいいじゃんと思うっちゃうけど、そうじゃないんだな。ヘテロの人たちは、普通にいろんな社会制度に守られて生きていることを意識しないで生活してるけど、制度に当てはまらない人たちが暮らしていくのはたいへんなんだ」ということが確認されました。
たとえば、就職試験を受けて採用となり、住所やら緊急連絡先を会社に知らせるという場面で、戸籍上独身の40代女性が、緊急連絡先に女性の名前を書く。すると会社の人は「この方とはどういうご関係ですか」と普通に尋ねてくるので、カミングアウトして、「この方は、私のパートナーです。実はレズビアンで」というとびっくりされて、さらに、こういった活動をしているのでインターネットに名前が出ることもあるかもしれません。というと「会社には迷惑をかけません」という誓約書を書かされたそうです。
この場合、レズビアンに反応したか、市民活動に反応したかは、定かではありませんが、どちらにしても、過剰反応。社会的認知度の低さがうかがえます。
国際的な状況をお聞きしたNPO法人ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表代理 吉岡利代さんによると、G8(主要国首脳会議)のメンバー国のうち、同性婚を認めていないのは、ロシアと日本だけだそうで、ロシアは、公共の場でLGBTについて話をしただけで刑罰に処されるという法律ができたそうです。国によって、ものすごく開きがあることがわかりますが、国連の事務総長がコメントを出すなど、差別をなくし、誰もが自分のセクシャリティを大事にしながら、尊重されて生きていくことを普通のこととしていくために動く方向性になってきているということでした。(もちろんそれは、とんでもない差別の状況があるからこそ、進めていかなければならないテーマということでもあるわけですが・・・)
コメンテーターのもうひとり、島田暁さんは、映像作家で、現在、このLGBTをテーマにした作品を手掛けているそうです。日本のあちこちで当事者に取材をしている中で聞く話の中には、さまざまな差別や制度利用ができないことで苦しむ状況があり、また若いころからの精神的な痛みを抱えていることも深刻さを増していること、家族関係での悩みの根深さなど、話してくださいました。家族からの「結婚圧力」で異性と結婚してしまったものの、悩んでいるケースも。他にも話せないディープなケースもいろいろあるとのお話でした。深い悩みの中で解決策も見いだせずに苦しんでいる方も、案外身近にいるのかもしれません。
また、子どもたちにも親戚が集まったりすると「女の子だからこう、男の子はやっぱりこうでなくちゃ・・」と決めつけて発言されることがあるけれど、LGBTの方は人口の5%を占めるという調査があって、目の前の子どもがもしかしたら・・と思うと、残酷な言葉の投げかけになっている可能性もあるとのこと。
さらにもうひとりのコメンテーター、NPO法人レインボーコミュニティcoLLabo理事 加澤世子さんからは、では、そういう悩みを抱えたときに誰に相談するかというと、1位が39%で、本を読んで自分で情報を得た。友人に相談が33%で2位。親や家族となると16.2%とグッと低くなる。これは家族が大事だと考えるからこそ、カミングアウトによって家族が壊れてしまうのではないかという恐れから相談できないと思ってしまうということでした。
このレインボーコミュニティcoLLaboでは、レズビアンと多様な女性たちの悩みに寄り添い、相談を受けたり、ピアサポートの場を提供したりといった活動をしています。
共に暮らすパートナーが同性だったとき、一番好きで一番信頼しているはずの人なのに、病気になっても、家を買う時も、どちらかが亡くなって相続が発生する時も、社会が家族と認めない。悲しいだけでは済まされない、大変な問題だとわかりました。
思春期に悩みを抱え始めることが多いこの問題は、学校での対応も重要です。
啓発が進んでいない状況で、スクールカウンセラーに「そのうち治るよ」と慰められ、非常に傷ついた経験を持つ場合も。学校関係者や相談窓口、公共機関などに携わる方々への啓発も急がれます。
「その人自身」「ありのまま」ということを受け止めていく。
それをベースに社会を組み立てなおす必要があると、ここでも思いました。